同心円波発射中

同心円波発射中

旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を………

ここに出てくるのは、限りなく世界の終わりに近い光景だ。だけども本物の終末というのは、人々が想像したよりもずっと穏やかな物なのかもしれない。
手元の羅生門を静かに置いて、窓をゆっくりと押し開いた。透明なガラスみたいな風が吹き込んできて、部屋の空気をみんな取り換えて行く。
窓からはおなじみの海が見える。透き通って青く、どこまでも広い。世界が滅んでも、世界中に横たわる海原だけは、ずっと変わらずにそのままの色を湛えていた。
いや、今日は特別運がいい。水平線より手前に船影が一つ。青いパレットに混じった灰色の粒が見えた。重ねるように白い指で指して、彼女は私に微笑みかける。今日も誰か来たよ。
誰かって?
行けばわかるんじゃない。

急いで上着を羽織って船着き場に降りた。彼女は先に舳先に座って微笑んでいる。危ないよ、と声をかけようとしたが、意に反して口から声が出なかった。もう話し方を忘れてしまったのだ。
力を込めて索を引くと、機嫌よさそうにエンジンが煙を吐く。桟橋を蹴ってボートを引き離してやると、そのまま沖合へと舵を切った。
帆の代わりにジャケットにぱんぱんに風を孕んで、白く航跡を残しながら、水平線をわが身に引き寄せていく。引き換えに陸はどんどん遠くなっていった。
いや、どんどん遠くなっていく陸に対して、「灯台」はちっとも遠くならない。きちんと私の遠近法は機能しているのだが、あの全高480mの灯台―― アルファダッシュ航法用電波塔は、ボートの往復できる範囲からながめる限り、地上の起点と上空の突端を同時に視界へ納めることができない。視界に対して高すぎるからだ。

海鳥と共にしばらく船を走らせると、最初は灰色の粒だったものが、積み木になった。積み木はだんだんと分節して、200mも近付けば完全な船の形になる。灰色の船体に白で数字が書かれた、ありふれた東側の駆逐艦が、一直線に海を航行していた。ミサイルをたくさん抱えて、レーダーやアンテナを王様の冠のように生やしている。この船をにボートをぶつけて壊しても誰にも怒られないだろうが、誤って接触したら質量差から間違いなくこちらが海の藻屑になるになるだろうから、慎重に接舷する。うまく梯子をひっかけて甲板によじ登った。
目ぼしい物は何もなかった。船室を一つずつ覗いてもベットの一つも見当たらないし、小さなクッキー缶や、煙草の吸殻すらひとつもない。生活感のない視界の端を彼女が駆けまわって、ゆれる髪の先だけが目に残る。
艦橋には船乗りの代わりに大げさな機械が居座っていた。舵輪に取りついたモーターアームが小刻みに進路を調整していて、それだけが生物っぽさを醸し出している。だけどこれも生物じゃない。生物の定義にもよるけど、少なくとも窓の外で羽根を休めるあのカモメとはあまりにも生きかたが違った。
鉄板を引っぺがして中の回路を露出させる。テスターで目当ての場所を探し出すと、ポケットから出した針金を置いてショートさせた。高電圧が流れ一瞬火花が散ると同時に、足元がぐらりと揺れる。機械の腕が狂ったように舵輪を回転させて、船はどんどん傾斜していった。方向転換しているのだ。二軸のスクリューが互いに逆回転して、船尾の水面が白く泡立つ。窓から「灯台」と陸地が過ぎ去り、船首が完全に沖を向いたところで、いままで弄っていた回路を思いっきり蹴って破壊した。自動航行システムはぐったりとして、もう少しも動かない。駆逐艦は燃料が切れるまで、永遠にたどり着くことのない水平線へと向かっていって行くだろう。

急な舵切りに驚いたカモメが飛び立って、群れが空に散らばる様子は、まるで風に広がるカーテンのようだった。生物と非生物。「いきもの」と「もの」。
人間は意識があるから人間でいられる。では、海辺の月に照らされながらベットで寝ている間の私は、果たして人間なのだろうか。上下する胸は空気弁仕掛けで、寝返りはサーボモーター制御………。
船を殺した帰り道は、いつもそんなことを考える。どこへ帰る? 私の帰る先は、いつだってあの「灯台」だ。夕陽で満ちて光る空に定規を当てて、黒々とした鉛筆線で左右に分割したような。高い高い高い高い。
宇宙が汚れ、電離圏に出る方法を段々と失った人間たちは、GPS航法に変わるものを求めた。それがアルファダッシュ航法だ。各地の沿岸や離島に超長波を発信する電波塔を建設し、それらの発信する電波を受信して自分の現在位置を計算する。厄介だったのは、無人船舶の内の多くは、船位を失って指示する人間もいない場合、電波の受信できる地域まで引き返そうとすることだった。世界が滅びてからしばらくは、多くの船が電波塔まで引き寄せられ、座礁した。座礁するだけならよかったものの、引き寄せられた船のいくつかはそのまま陸に乗り上げて塔の基部を傷つけた。システムを設計した誰もが予測していなかったのだ。ある日突然、人間がほとんど消え去るだなんて事は。
こうして「灯台」の数はどんどん減っていった。減るにしたがって、船の漂着はまだ生き残っている塔に集中した。私の間借りする「灯台」だって、こうして時々船を殺して回らなければ、墓場やスクラップ場のようになっていたに違いないのだ。
どうしてまだここに留まっているの? あなたは自由になってもいいのに。
傍らの幻覚が語り掛けてくる。
手紙を待っているんだ。
だれからの?
君からの。いつかのように郵便を積んだコンテナ船が来るかもしれないから。
それでいて恐ろしく低い確率だってわかってるんでしょ。おかしいの。
もうおかしくなっちゃったんだよ。
口を開いた。やっぱり声は出なかった。
私だって位置を見失っちゃったんだ。
「だってあなたが私の灯台だったんだもの」

夕霧に覆われた桟橋にボートを繋いで、潮風に錆びた扉を開けた。
私という灯台守がいる限り、この塔は停波することがない。継ぎ接ぎに修理されながら、超長波が描く同心円の中心で待ち続ける。
この先もずっとずっといつまでも。私があなたの存在を、見失ってしまうまでは。


執筆者巡宙艦ボンタ(4位連続ラス免除のため繰り上げ)
麻雀結果Sig. 75400  kabao 51300
巡宙艦ボンタ 36300 瀞昧幹 32200
規定文字数1500文字(2→3位15000点差)
お題
Kabao:世界崩壊後、海辺の灯台で
手紙を待つ誰かの話
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